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大佐のぽつねん日記

主に作曲をしている大佐がぽつねんと書く日記です。

性質

 画一的なものや考えを嫌う傾向が昔から自分にはあった。学生時代は特に顕著だったし、人と同じような見方、考え方をするのは嫌だったからあらゆる物事を斜めからしか捉えられない部分を確固として持っていたように思う。自分のその性質は、もう生まれつき備わっているものだから仕方ないと諦めていて、でも心の片隅でどうしても諦めきれない、認めてほしい部分が絶対にあったからその気持ちの間で過ごしていた学生時代は随分苦しんだように記憶している。その性質が出来上がってしまったのを自分が今置かれている環境のせいなのかと思うようになったのはごくごく最近の話だ。

 人間は自らの置かれる環境を選べない。他者との比較で勝っている部分を見出して、それ故に優越感、幸福を感じることは個人的には正直あまり好きじゃないが、それでも連日報道されている我が子への虐待、ネグレクト、果ては考える間もなく言葉巧みに一家心中などを強要される子供達の痛ましい事件が目に入ると、自分という人間は一般的観念から鑑みて、わりかし幸福なのかもしれないと感じてしまうこともある。幸せとは個人が感じる一瞬一瞬の感情のことであり、持続するものは幸せとは呼ばないと、僕の好きな作家がどこかで言っていたのを思い出す。

 

 子供の頃はありのままを受け入れるしかなかったことも、大人に成るにしたがって抵抗する力を得ることができるようになる。身体的、経済的、社会的なことで、ということだ。それらに関しては当然、ある程度まで成長して否応なく将来の選択を迫られた時に、他の大人たちに無駄に急かされながらも自ら選んだ道によって如何様にも細分化されるし、言うまでもなく与えられる力は均等、平等とは程遠い。不思議なことに僕はその均等ではないという部分に対して、昔からどこか怒りを覚えていたように思うし、今だっておそらくそうなのだ。これを理不尽と呼ぶなら僕は性来ずっと理不尽な人間だったのだろうし、多分これからもそうだろう。ただ、ここで断っておきたいのだが僕は社会主義的な人間ではない。人が発する均等、平等という言葉は一方の側面で大抵にどこかしら欺瞞をはらんでいることもわかっているつもりだ。

 心からの満足というものを体感したことは少ないし、こんなひねくれた性質だから他の人たちよりも満足や充足感を感じにくい人間なのかもしれないとは思っている。それでも不思議と、「もっと他の人たちと同じようなことで満足できたらな」と思った記憶がない。なんだかんだ言ってもこれが僕なのだし、この性質を持ったおかげで色々と楽しかったこともあるのだ。これから先どのように変化していくのか、はたまた変化などせずにこのままなのかはわからないが、自分が自覚している瞬間くらいは、この性質を否定しないようにしようと思いつつ、今日もせっせと曲を書くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません。

 

 

 

 

 

 

こういう風に一回、書いてみたかったんです。。。。。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

文章が支離滅裂なことはわかっております。。。。。。。。

これには僕が考えていることも入ってますが、全部が全部そうではないことをはっきり申し上げまする。。。

 

 

 

 

文章に不安を覚えたり、「いやキャラ変わりすぎやろ嘘やろお前」と思われた方、大変申し訳ございません。

 

 

 

 

 

 

大佐は確かにここにいます。

 

 

 

 

 

 

疲れましたので本日の更新はここまでに致す。

また、よろしくお願いします〜。